せどりの未来。

Amazonの送料・APIの仕様変更、ipadの発売による今後の電子書籍の普及、ひいては出版物を取りまく状況の変化を受けて、最近至るところでこの話題を目にします。


かぴぱらさんが本日のブログで、データに基づく非常に客観的で冷静なご意見を述べられていたのを拝見いたしました。
物事に対して意見を述べる際の最高のお手本であると思います。


一方、私が目にする多くの方々の意見は、せどりに未来はないという意見です。1つ1つソースは記載しませんが、要するに、そのほとんどは、「もうせどりで食べていける時代は終わった。せどりなんてくだらないことはやめよう。」という主旨の意見だと思います。

率直な感想ですが、言い古されているというか、ただ冒頭で述べた変化をダシに、せどり否定派の方々がこれまでと同じことを言っているだけという印象を私自身は受けました。
人のことを言えた義理ではないのですが(汗)、そのほとんどはバックデータに乏しく、一見歯切れのよい論旨を展開しているように見えますが、一貫して感情的で、読んでて全然心に響きません。
もちろん、言っていることに一理ある方も中にはおります。せどりだって良い面もあれば、悪い面もあります。それは世の中何だってそうです。


相対的価値を超越した"最高善"、もしくは一神教に於ける"神"のような絶対的存在でない限りは(あるいはそれらでさえも)どんなモノ・コトも批判することは可能です。


ただ、批判することは、元来建設的活動だと思います。例えば、"批判精神"と言うと、そういう意味ですし、小林秀雄をはじめとする文芸評論家のテクスト批判もそこに新たな意味や価値を見いだす創造的活動です。


ですので、「せどりに未来はない」という意見のほとんどは、批判にすら該当しないんだと思います。


私は割りと先入観をもたずに、物事に触れることができる方だと自分ではそう思ってます。
なので、芯のあるせどりの未来否定派の意見を見れば、なるほど、そういうことね、ときっと思うこともあるかもしれませんが、まぁ、最終的には現にせどりで食べて・暮らして・楽しんでいるわけですから、そういう意見に感心はしても、せどりをやめることはないと思います。


せどりの未来、これだとちょっとつかみどころがなく、スルスル指の間から抜けていきそうです。あなた(私)自身のせどりの5年後の姿とかの方がよりイメージしやすいと思います。


それにしても、議論好きな方っているんですね。


私は議論をすると途中で飽きてしまいますし、何について喋っていたのか自分でもわからなくなるので、議論は好きではありません。

眉間にシワ寄せて議論するくらいなら、寝っ転がってお尻を掻いてます、私は。