古本屋だと胸を張って言えるようになりたい。

今月で私のせどりキャリアもようやく1年5ヶ月目になりました。はっきりいってまだまだひよっ子であります。やりたいこと・やれることの半分も、イヤ、10分の1もやれていない気がします。


それでも、どうにかこうにか今日までやれてきました。日々の積み重ね、努力を今後も怠らないようにしたいです。



さっき、お風呂屋さんに行くのにいつもの道路を通ったら、そこにあるはずの古本屋さんがなくなっていました。店舗はもぬけの殻、クリーニングもすっかり終わり、貸店舗の看板が寂しげにかかってました。


これで、私の知る限り、先月に1件、今月に1件、非ブックオフ、非チェーン店の町の古本屋さんが潰れたことになります。
今回閉めた店舗は、未成年者からの買取りをかなりズボラにやっていて、警察から厳重注意を受けるようなお店だったので、店の経営うんぬんよりも、そちらの方が問題だったとは思うのですが。


ただ、この店舗はAmazon売りもやっているので、お店は閉めても、無店舗で経営は続けて行くのだろうとは思います。


いづれにしても、古本屋が2店舗潰れた事実に変わりはないわけで、古本屋を志す者にとっては、何か悲しい気がします。


まぁ、言っても田舎ですので、家賃は安いですが、人も場所も都会の店舗とは一概に比べられませんが。


けれど、高原書店さんのように、地方都市・郊外型店舗でも成功しているモデルはあるわけです。


そう考えると、今回の2店舗の閉店は、結局、経営者の店売りのセンスがなかったということになるのではないかと思います。


現在、店舗を持つことが古本屋であることのステータスではもはやなくなった、とは思います。
店舗を持たずに商売をされていて、成功されてる・ガッポリ儲けている先輩方は大勢います。


けれど、私は何故か店舗を持つことに強い憧れがあります。採算だけを考えたら無店舗で商売した方が断然よいのも分かってはいるのですが、店舗を持つことでしか味わえない古本屋の醍醐味というか、古本屋の快楽というのもまたあるんではないだろうか、とも思ってます。


そりゃ、私の怠慢さといったら底知れないものがあるのは、自分が1番分かっていますし、自分が思っているほど、実際には頭が良くない、むしろ、頭でっかちで行動が伴っていないので、経営手腕もおそらく全然ないのも分かっています。

けれど、それでも店舗を持つことに対するノスタルジアは拭いきれず、失敗してもよいから、ゆくゆくは店舗を持ちたいという、一種の偏執が私の古本魂の海底に重い錨を下ろしているのは事実です。


西村文生堂の西村さんが、「古本は昔はロマンチックだった」とおっしゃられた時、自分の胸の内が乙女のように熱くなるのを感じました。


また、下北沢のほん吉さんが店売りの醍醐味を、「シンプルで一番分かりやすい」とおっしゃられたのもその通りだと思います。


本・人・お金がややこしいこと抜きにして、ある種即物的に、生で触れ合えるのが店売りの魅力です。


その他にも、買取りの窓口的役割とか、地域への影響、日本にはありませんが、キャフェの文化の一端を担える等々、色んな利用方法があると思いますが、きっとその多くは持たざる者の情景の念が産み出すまぼろしだとも思います。


まぁ、ごちゃごちゃ言ってますが、正直なところ、私は一生治らないめんどくさい病&頭が悪いので、四の五の言わずにシンプルに出来る、店売りがやりたいだけですw。


シワシワの古本屋の親父になって、膝に猫乗せて店番しながら居眠りができたらサイコーです。


また今日も独り妄想に耽ってしまいましたが、まぁ、分かったから、ゴチャゴチャ抜かさずにしっかりやれよ、俺、といった感じです。


早く"せどり心中"から"古本心中"にブログのタイトルが変更できるよう、女房にケツを蹴っ飛ばしてもらいます。


そういや、女房のヤフオクがイイ感じで売れていて、何か悔しいので、明日も頑張ります!


それではごきげんよう。古本に幸あれ!


あっ、また明日もしつこく書きますが。