せどりコラム (第2回)

おはようございます。喉が乾いて5時に目が覚め、問合せ対応や考え事をしていたら7時になり、今度はお腹が空きましたw。


今回は私自身すっかり忘れていたせどりコラムです。あっ、大丈夫です。お腹が空いているので、そんなに長くはなりません。


せどりコラムのテーマをあれこれ考えてみたのですが、結局さっぱり思いつかないので、当初のテーマで書きます。ズバリ「死」についてです。


ちょっと重めのテーマかなー、とは思いますが、「死」はもっとも身近なもので、誰にとってもリアルな現実なので、目を背けることは出来ません。


私は毎日好きなことをして暮らしていますので、正直もういつ死んでもよいと思ってます。楽しい事や好きな事をしていても、いつも自分自身の死、他人の死、血族の死などについて色々と考えています。


「死」については色々と考えますが、「死後」についてはほとんど考えたことはありません。


私が死んだ後の家族の事という意味では「死後」について考えますが、あの世とか天国・地獄といった、ブッ飛んだ考え方はしません。


「死人に口なし」というか、「死」について考える、「死」について語ることはある意味ではナンセンスなのかもしれません。というのは、「死」は生きている者には知り得ず、「死」を知った時にはもはや死んでいるわけですから、何も考えることができないと思います。


そうは言っても、「死」は現実です。古今東西・老若男女の大きな関心事として、これまでも、これからもあり続けることは間違いありません。


何だか糞の周りをグルグル回る蝿の気分です。同じところを行ったり来たりするだけで全然核心に触れることができません。
もっとも、「死」について私は何も知らないので当然の事ではありますが。


ちょっとテーマが漠然としすぎて、どこを切り口に踏み込んだらよいのか見当がつかないので、今回はこのへんで止めます。それにお腹も空きました。


最後に「死」にまつわる本を2つ紹介します。
どちらも有名どこですが。

スイスの精神科医、E・キューブラー・ロスの、
『死、それは成長の最終段階 続死ぬ瞬間』(中公文庫)


臨床の視座を中心に据え、医療現場や、末期患者の声をもとに「死」について考察したのが本書です。
同著者の『死ぬ瞬間』は超回転本です。私は何冊も売ってます。但し、中公文庫版に限りです。読売新聞社より刊行されている単行本版は何故か安く、売れにくいのでご注意を。


安部公房 『死に急ぐ鯨たち』(新潮文庫)


表題に「死」というワードが入っていますが、直接「死」について言及されている箇所は少なく、国家・科学・芸術などについて述べられた評論集です。
タイトルだけで、今の世の中を寓意的に物語っており、素敵ヤン(←島田紳助風)と個人的に思ったので取り上げてみました。


『赤い繭』を高校1年生の時国語の教科書で読み、遠近感を失った記憶があります。


有名な作家ですが、中には高額本もありますよ。
安部公房の作品は小説も戯曲も評論集もどれも面白いし、ネーミングセンスがユニークです。ドナルド・キーンとの対談集も個人的には好きです。


っと、最後は私のお家芸(!?)の文庫の紹介をしてみました。


第3回のせどりコラムはいつになるかわかりませんが、今回の「死」をもうちょい絞って、「自殺」について書いてみたいと思います。芸能人や作家の自殺、太平洋戦争時の"玉砕"、先進国と途上国における自殺など、これまた、色々書きようがありそうです(笑)。


まぁ、せどりコラムなので、本を幾つか紹介してお茶を濁す予定です(汗)。


そういえば、せどり心中の"心中"も「死」に関連してますねー。やっぱどこかで意識してるのかなぁ、たまたまだとは思いますが。


それでは、今日もエンジョイせどりライフ!(←こんなタイトルのブログがあったような、ないような。たまたまですので何の意図もありません、あしからず。)


嗚呼、最後はいつものグタグダです。まぁ、いつもグタグダですが(切腹)←古っ!